ビジネス・日常

<第1弾 小説を書いてみた> 人生の棺桶

はじめに

みなさん、こんにちは!Dスケです。

名前:Dスケ

大手企業を退職後、ロンドンへ留学。ロンドンのライフスタイルに影響を受け現在は、ブロガーとして生活。ネットビジネスのほか、デイトレや留学ライターとしても活動中。(社会人でのロンドン留学のご相談はいつでも)twitter@D_suke_tawagoto)で主にリアクションしています!

今後ともよろしくお願いします!

最近ね、「はさみ男」を読んでいて、ちょっとあの静かで心情をとにかく書いている文体が気に入ったので、僕も今回は小説を書いて行きたいと思います。笑

実話に基づくフィクションって感じだな。笑

小説風「人生の棺桶」

僕の日常は、社会と遮断されている。誰とも話さず、誰とも交わることはない。そして、何も感じない。最近本当に不思議に思うことは、どうしてそんなに楽しそうにくだらない内容を人は話して笑っているのだろうかということ。決してその人間を見下しているわけではない。本当に羨ましいと思うんだ。というのも、僕も2年前まではいわゆるサラリーマンをしていて、そこそこの企業でそこそこの給料やブランドをもらって、なんの疑いも持たずにただ毎日を生きていた。いや、働いていた。そんな毎日にうんざりして、退職した。ある日、僕はあることに気づいた。もうすぐ自分は死ぬということ。その死は明日来るかもしれないってこと。僕はそれから常に死と隣り合わせに生きている。それを幸運と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。間違いなく、僕は幸運だった。ある人が言っていた、崇拝されている哲学者なのか、凡人なのかわからないが、なぜか記憶に残っている言葉。

「死を遠くに感じているのは不幸だ」と。

彼の法則に従えば死を隣に感じている僕は幸運というわけなのだ。人の幸せなんて、誰かが作った長さもわからないような意味のない定規で幸福の大きさを測るようなもの。いくら人に「あなたは幸せ」と言われても、僕は「棺桶の中で死んでいた」状態だった。それを、人は羨ましがったし、嫉妬すらされたこともある。高校の受験勉強の時に倫理を専攻していた。「死」について論じる学者はたくさんいたが、それを薄っぺらな教師が淡々と教えてくれた。その教師の名前なんて到底覚えていない。変な変わった名前で年寄りで男なのに、香水をつけてきていて話題になっていたと言うことだけはかすかに覚えている。高校時代はこんなことでも話題になり、いじめや崇拝につながるものだ。

「人の死とはどういった状態なのか?」

甘い香水の教師は聞いた。もちろん高校生の僕たちにこれを答える頭も勇気もなかった。つまり、脳死を死とするのかどうとかを議論をしていたのだ。僕は心臓が止まった時こそが人の死だとその時まではそう思っていたが、その薄っぺらな授業を聞いて死の概念はどこにあるのだろうかと考えるようになった。そんな僕も薄っぺらな人間であることは言うまでもなかった。僕にとっての死とは喜びを感じられなくなった状態のことだと気づいたのは、その8年後だった。その8年後に僕はおそらく1度死んだ。どこに遊びに行っても、お金をもらっても、何をしても、無に感じた。死後の世界が「無」であれば、その死後の世界に僕はいたんだと思う。そんな世界から飛び出そうと思ったきっかけは、とてもヘンテコな小さな自分に対する問いかけから始まった。

「何がしたいの?」

そう、ある土曜日の夕方にケーキとコーヒを優雅にそして無感動に食している時に、隣の学生が就職活動の面談らしきものをしていた。学生の方は、黒いスーツではなく私服を着て、アイパッドを目の前に置き話を聞いている。姿勢は正しく、髪の毛はジェルで固めている。今時風の草食系と言ったところか。一方、採用担当らしき人物は黒いスーツを着て大きめのサイズの時計をつけていた。僕が彼を気に入らない理由はいくつもあるが、1つはカフェという静かな場所に似つかわしくないほどのボリュームで、いかにも仕事ができる風貌を装い話をするからだ。

「君は会社に入って何をしたいの?」

と目障り極まりないペンをくるくるさせながら聞いた。眼力強く学生は、すぐに用意していた答えを口に出した。

「はい、僕は一人でも多くのお客様に愛される営業マンに・・・」

だめだ。不採用。と心の中で僕は呟いた。と同時に僕の頭の中でも

「君は何がしたいの?」

という言葉が頭を巡った。もう隣の面談に対する興味はなくなり、僕は自分に問いかけたその答えを考え始めた。だが意外にも自分の中で簡単に言えた。

「今すぐに会社をやめて、全てを捨てて、ロンドンに行って英語を勉強しながら、旅行をしたり、カフェで本を読んだり、ビーチで寝転んだり、おしゃれしてミュージカルをみに行ったり、美味しいものを死ぬほど食べたり、笑ったり、美術館に行って絵の勉強をしたりしたい」

なんと・・・とても、浅はかで俗で、単純で、こんな誰しもが望みそうな欲望を自分も持っていたことに驚いた。でも、僕は確かにその時はそう望んでいた。少しの嫌悪感と驚きを持って、次の質問に移った。

「なんでそれを今しないの?」
「だって、会社をやめたら不安だし、というより負け犬感あるし、そもそも海外に行ったこともないし、まるで現実味のない話。そんなことは、ほとんど夢の話。」

僕は、自分への嫌悪感をさらに増した。だがすぐに頭の中で別の声がした。

「不安って何か守るものでもあるの?負け犬って今は勝ち犬なの?同じ犬じゃん。海外行ったことがないなら行ってみればいい話。」

僕の言い訳なんて、すぐに別の自分で論破できた。そして最後の質問に移った。

「今を生きるか、今を死ぬか、どっちがいい?」

僕は葬式の棺桶に入っていた状態から、目をパチと開け、ムクッと上体を起こし、そのまま立ち上がって、周りの人に一礼をし、自分の葬式を後にした。みんな驚いていた。

「なんだ、不謹慎なやつめ」と怒るものもいれば、
「生き返れて羨ましい」と涙を流し嫉妬するものもいた。

僕は誰に何を言われても、何も感じなかった。そんなのを気にしている場合ではなかった。ただ、外の空気を吸いたかったから、扉に向かって歩き始めた。そこから見えたのは、全く違う世界だったんだ。

おわりに

いかがでしたでしょうか?笑

この混沌とした文章は。この数百文字書いて、もう満足って感じです。笑

続きをみたい!という人が万が一いたらご要望に答えて書いていこうと思います。笑

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